「鮮明な記憶」

通常泥酔状態に陥ると、飲んでいた時の記憶、その後の記憶はほとんど失っているが、泥
酔状態においてもなお、鮮明に覚えている記憶がある。

その日私は、何の飲み会だったか忘れてしまったが、かなりご機嫌で家路についていた。
その事件は、駅から自転車で家に着くまでの間、とある大きな公園内で起きた。
酔っ払って自転車に乗ることはまあ、時々はあるのだが(道路交通法違反になるそうです。
このエッセイを読んだ読者は決して真似してはいけません。)、今までは口に出して言う
ほどの失敗をした事は無かった。せいぜい、道端の植え込みにちょっと突っ込みかけたり、
バランスを失ってへなへなと倒れかけてしまったくらいである。

でも、その日はまったく状況が違った。本当に直前からの記憶しか無いのだが、突然工事
中のパイロンが目に入った。その直後、顔面を激しい痛みが襲った。私の身に何が起こっ
たのか状況を把握するまでにしばし時間がかかった。文章で書くのは難しいが、要するに
今まで走ってきたところと、工事中の所との間に15Cm程の段差があったのだ、普通のス
ピードで良い気持で走ってきた私は、前輪をその段差に阻まれ、見事にハンドルを握った
まま、顔面から地面に着地したのだ。
当時、私はセルのメガネをかけていたが、フレームは粉々に砕け、もはやメガネの形を留
めず、レンズも片方は割れてしまった。そして、顔からは血が滴り落ちている。
取り敢えず目が見える事を確認した私はその場に蹲り、ひとりで、痛いよぉ〜、メガネが
壊れちゃったよぉ〜、血が出てるよぉ〜、目が見えて良かったよぉ〜とぶつぶつ繰り返し
ながら子供の様に泣いていたのであった。

時間が時間だし(多分深夜0時を回っていたと思う)誰も通らないし、仮に通ったとして
も恥ずかしくて声は掛けられない。気を取り直して家路を急いだ。家に着いた私は、何は
ともあれ、お風呂に入って傷を洗い流した。酔っていたので痛みは幾分鈍かったが、その
部分が熱いと言うか、じ〜んとする感覚がひどく、ぶつぶつ独り言を言っていた様だ。深
夜だったが妻が心配して起きてきた。私の顔を見るなり、びっくりしていたが、話しを聞
いて、馬鹿じゃないのと一言残して立ち去っていった。冷たい奴だ。

翌日の私の顔は悲惨なものだった。ちょうど、鼻のやや上からヘッドスライディングをす
るような感じで顔面が着地したらしい。鼻の上部、メガネを支えてる部分から、鼻の頭、
唇、顎にかけてかなりの傷が付いている。取り敢えず大きめのマスクをして会社に行った
が、マスクだけで隠せるはずも無く、すぐにみんなの笑い者になってしまった。
笑いたい者は笑うが良い、いつの日か俺がお前らを笑ってやる!
この思いは未だに果たせていない。

家を出掛けにチラッと見た自転車も悲惨なものだった。ハンドルの前についている四角い
買い物かごが、三角形に変形していた。物言わぬ自転車が愛しく思えた。ごめんな、お前
まで巻き添えにして。又一緒に走ろうな。心の中でそうつぶやいた。

こんな事件に巻き込まれながらも、一つだけ良かったなと思っている事がある。
一ヶ月後に海外出張を控えていた私は、その事件当日の午前中にパスポート用の写真を撮
っていたのだ。怪我した後じゃなくて本当に良かったよ。

(読者の皆さんも、こんな事が無い様に充分気を付けましょう。一歩間違えば本当に危険
な事です。飲酒運転は決してしてはいけません。作者より反省を込めて。)


(C)Copyright 2000 AndB. All Rights Reserved.